月夜見 “桃の花、咲くころに”

         〜大川の向こう より

 
以前からもそういえば、春先の気候というやつは、
暖かくなったな、このままこんな日が続くのかと思わせといて、
すぐの翌日には嘘のような極寒、
雪まで降るよな寒さが戻ってきたりと、
結構気まぐれなそれじゃああったけれど。

 『花冷えという言い回しもあるくらいだからな』なんて

そういや、この庵の主人の好々爺も、
そんな言いようをしてなさったけれど。

 “寒いというの感じてなさるのなら、
  気をつけねばならないかしらね。”

目の前でそのまま言ったなら、
なんだ儂にだって感覚くらいはあるさねと、
やはり笑ってしまわれるのだろうけれど。
指物師の隠居でございと納まり返っておいでの、
渋い和装のすぐ下には、
事情を知らない人だと つい目を背けてしまうかもしれない、
おっかなくも引きつれた、大きく深い傷も多々ある御老。
深く訊いたことはないけれど、
若い頃には相当な無茶も数々やってのけたお人で、
今でもその伝説の数々がそれなりの筋の方々には通用し、
名前だけでははぁと畏まってしまうほどの威容が通じているとか。
そんな化け物だった基礎あってのことか、年齢不肖なままの老師だが、
そんなお人でも最近の気温の乱高下は古傷に障るようなら、
気をつけて差し上げないとななんて。
そんな心積もりを感じつつ、
昼間のうちは暖かな陽気を浴びながら、
小さな里の坂道をゆっくりと登っていた買い物帰りのお姐さん。
ボブにした黒髪は、風に遊ばれるたび深みのある艶を躍らせており、
ちょっぴりコケティッシュな大人の色香持つ風貌と、
すらりとした長身に均整の取れたプロポーションは、
モデルか何か垢抜けた職業を連想させるが。
実のところは、
この小さな中州の里に何十年も住み暮らす住人でしかなく。
ハッとするよな都会的美人で、しかもなお、
口調や立ち居が粋でさばけてもいる所謂“女傑”でありながら、

 「…あら、ルフィちゃん。」

飲み屋で顔をあわせるような友達も多いが、
それ以上に、子供たちにも受けが良く。
殊に、

 「……。」

今のこの里の隠れたガキ大将、
またの名をアイドル扱いのルフィ坊やには、
殊の外に懐かれている筈が、
今日は何だか様子がおかしい。
いつもだったらこっちが気づくより前に向こうから、
おねいちゃ〜んっと呼びながら駈けて来るものが。

 「…おねいちゃん。」

今日はといえば、
坂になってる道の、正に道端に、お膝を抱えて座り込み、
この世はもうすぐ終わるんだと言いたげな、
他の大人にはあっても彼にそんな様子を見たことないぞという
それはもうもう深刻なお顔でいたものだから。

 「一体どうしちゃったのかな?」

詮索は好かないシャッキーさんとて、
どうかしたかとついつい立ち止まっての、
案じるように坊やのお顔を覗き込んでしまったほどだった。



      ◇◇


たとい陽の明るさを取り込めたとて、
屋内ではまだまだ、なかなかに暖かい感触が得られない。
そんな浅い春の気配の中、
丁寧に淹れて差し上げたお茶の、
風味のみならず、じんわりと口許を暖める肌合いへも、
目を閉じての堪能の様子を見せていた御主様。
骨ばった節の目立つ手を、きちんと揃えて湯飲みを戻し、
そしての…さてと、
話途中だった家人のほうへ、視線を向けたは、
ここのような数寄屋造りの座敷を始め、
すっかりと和風な拵えな、
この庵の主人のレイリーという老爺であり。
確かに、真っ白になった髪や味わいの豊かなお顔のしわなぞが示すよに、
それ相当に年配であるには違いないが。
背中の張りようや立居振る舞いの切れのよさ、
そして何より、
穏やかそうな笑顔の中にあっても鋭く冴えた目ぢからの重厚さが、
どれほど只者ではないお人なのかという畏れ多さを、
判る人には感じさせてしまう怖さだが。
罪のない子供らやここいらの純朴なお母さんたち同様に、
こちらのお姐さんもまた、それと判っていても今更畏れたりはしないまま、

 「それがね、
  可愛らしいことでそうまで困り果ててたらしいのよ、
  ルフィちゃんったら。」

話し始める前から、もう笑い始めつつのご注進。
この中州の大人も子供も大好きな腕白坊主のルフィちゃんが、
なんでまた…春休みの最中の昼下り、
たった一人であんなところで煩悶していたかといえば、

 『あんなあんな、ネコのことなんだ。』
 『猫?』

うんと、深刻なことのように頷いた坊やは随分としおれていて、
すぐ真横、そちらさんはブロック塀へと凭れて中腰になったお姐さんへ、
拙い口調で、それでも懸命に話してくれて。

 『あんな? ここんとこ、
  夜中とか夕方とかに妙な声が聞こえてな。
  朝早くにも聞こえたんで、
  あんな時間に赤ちゃんが起きてるもんかなぁってゾロに聞いたらば。』

  ――― アレは猫の声だ、って。

 『年に何回か、猫はああいう声になるんだ。
  本当の赤ちゃんが困って泣いてるんじゃねぇから安心しなって。』

 『ふ〜ん?』

ああそういえば、盛りの時期ではあるわよねと。
冬があまりに長くて、節分のころに大人しかったものだから、
大人でもすっかりと忘れていたシャッキーさんが、
それでも大人なればこそそれで通じての先を促せば、

 『けどさ、俺はそんなの知らなかったしさ。
  じかに聞いててそういう話をしたわけじゃなかったから、
  ゾロは判ってなくてゆってるって思って、
  違うもんって言い切っちゃってさ。』

ゾロの判らんちんってゆって、
バイバイしてそれきりにしてたんだけどな。

 『さっき向こうの塀の上にいた猫がさ、
  赤ちゃんみたいな変な声で鳴いててさ。』

ゾロの言ってたことが正しかったって判ったもんだからって。
ごめんなさいが言いにくいくて困ってるのって。

 「もうもう可愛いったらなかったわよvv」

大人からすりゃ些細なことが、
子供にしてみれば途轍もない重大なことになるのは良くある話。
そこへ加えて、
プライドというか誇りというか沽券というかも、
少しずつ育ちつつあるお年頃なので、
悪いことをしたというところへ、恥かしさも加味されているに違いない。

 「ほほお。」

話を聞いていた老爺もまた、
それは可愛らしいことと目元を細めて笑っておいでで、

 「それで? どんな助言を?」
 「それが…。」

言い出しにくいなら、アタシが仲立ちに立ってあげようかって言ったら、
それはいいって。

 『だって、そんなん、俺が赤ちゃんみたいじゃんか。』

大人の人についてきてもらわねぇと
おしっこにも行けない赤ちゃんと一緒だ、ですってよと。
例えがまた、
判りやすいんだけれどもいかにも子供だなぁという感触だったので。
吹き出しそうになるのを堪えるのが大変だったと、

 「おいおい、それでと今此処でそうまで笑っておるのかね。」
 「だって、あんまり可愛かったんですもの。」

それはそれは真剣真面目に、はぁあと溜息までついてたけれど、

 『おねいちゃんにゆったら、ちょっと元気出た。』

うんって凛々しくも頷いて見せ、これからゾロんちに行くって。
元気良く駈けてったのを見送ってきましたと、
そこで話を切ったお姐さんが、ふと、
肉惑的な口許を指先でちょいちょいとつついて見せて、

 「ああでも、大丈夫なのかしら。」
 「何がだね?」
 「ゾロちゃんってどこかニブちんなところがあるから。
  言葉が足りなくて通じないってことも?」

今になってそこが案じられたお姐さんだったらしいのへは、

 「そこは大丈夫さね。」

白髪の老師、顎のおひげを撫でつつ味な笑いようをして見せて、

 「ゾロくんの鈍さは、
  ルフィくんへ偏ってるからこそ生じているともいえるのだ。」

 「…あらまあ。」

だからこそ、どんなに拙くとも言葉が足らずとも、
ルフィくんのいうことが通じない訳がなかろうと。
再び湯飲みを持ち上げたレイリーさんだったのへ、
傍づきのお姉さんが眩しげにくすすと目元を細めて頬笑んだのは。
子供たちの無邪気さとそれから、そこまで把握なさってる御主の、
いかに彼らをかわいらしいと愛しんでおいでかを感じてのこと。

 “すっかりと丸くなってしまわれて。”

ほんと、お孫さんたちのようなものですものねと、
そういう意味合いからも苦笑が止まらぬお姐さんだったその視線の先には、
石を積み上げた塀の上、すたすたとゆく白に黒ぶちの猫が一匹。
立ち去り際にはご丁寧にも、
古いラジオから流れるそれのような、
独特の甘い声にて“な〜っご”と長鳴きしていったのだった。





  〜Fine〜  11.04.05.


  *猫の肉球は、爪が出てないので
   ともすれば足跡だけでも犬のと見分けもつくそうで。
   あと、梅の花に例えられるそうですね。
   それはともかく。
   ウチの近所でもやっと最近猫の声が聞こえだしておりましたが、
   選挙カーの音量に負けけまくりで、今は宵や朝早くしか聞かれません。
   桜の他にも春を思わすことだのに、つや消しなことだなぁと、
   そんな形でも選挙カー憎しと思ってしまう今日この頃…。


  
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